光は、2011年11月27日に、ニューファンドランド犬専門のレスキューセンターから私たちのもとにやってきた。この写真はその週に撮ったもので、たった1歳半だった。あれから幸運にも、11年近くもの歳月を共に過ごすことができた。おばあちゃんになっても童顔のままで、本当に可愛かったなぁ〜。またね、光ちゃん。ありがとう。
「ニューファンドランド犬」カテゴリーアーカイブ
ニューファンドランド犬のHikari ~ 12 Years
ニューファンドランド犬の Hikari は、12歳になった。平均寿命が7〜10歳の犬種にしては、健闘している。父親も11歳まで生きたらしいから、家系かもしれない。
我が家の最初のニューファンドランド犬である Kai が、骨肉腫で7歳で他界してしまったので、Hikari が8歳になった時は嬉しかった。
彼女には数年前からリューマチがあり、足腰が弱っているが、galliprant という薬のおかげで、今でも散歩ができる。
近所の公園がお気に入りで、芝生にこうして座って、テニスをする人や他の犬を見る。子供たちにも、なでてもらえる。私も一緒にお日様を浴びているせいか、キャビンフィーバーが軽い。お日様とお犬様のお力は、ホント、偉大なり。
カンザスシティの暮らし ~ Relaxed
ニューファンドランド犬 ~ よだれ
ニューファンドランド犬と住むということは、クマのプーさんと暮らすようなもの。いや、生きた巨大なテディ・ベアと住むようなもの。抱き締めるたびに、幸せ~になる。かわいくて、フカフカで、おっとりしていて。
でも、ニューファンドランド犬と住むということは、すなわち、よだれを受け入れるということ……。家には Hikari 専用のタオルが、何十枚もある。
家にゲストを迎えるときは、よだれがないか、床や家具だけではなく、天井までチェックをいれなくてはいけない。もちろん、食事のときは、いつも私たちの横でこうしておこぼれを待っている。幸い、Hikari は女の子なので、それほどよだれは垂らさない。ありがたや~。
ニューファンドランド犬 ~ Kai
寝た子を起こすな ~ Sleeping Dogs Lie
カンザスシティの暮らし ~ 自宅滞在中
コロナウイルス感染の拡大防止のために、自宅滞在中の日々。
現在、ミズーリ州の感染者は911名(カンザスシティ102名)、死亡12名で、ハイペースで感染者が増加している。それにしても、アメリカ人が、こんなにも規則をしっかりと守る国民だとは思わなかった。ダウンタウンでは、みんなお互いの距離をう~んと開けて、散歩やジョギングをしたりしている。
ダウンタウンのスーパーへ行ったら、消毒関連の品物やペーパー類、小麦粉、そしてアイスクリームの棚が空っぽ。卵は品薄。この程度だったので、食料品の買いだめは起きていない。ただ、350世帯が住むこのアパートのリサイクルのゴミ捨て場には、ピザの箱が山のように積まれていた。
家にこもる日々だが、メイン州では、冬はいつもこんな感じだった。我が家のニューファンドランド犬のHikariは、うれしくて仕方がない。父が、テレワークで家にいるので、母から叱られても、父が “My beautiful girl!”と、すぐに味方についてくれる。
読者のみなさんも、くれぐれも感染には気を付けてください。そして、この期間を無事に切り抜けていけますように。
アテンション!
我が家のプリンセスであるHikariは、9歳。大型犬のニューファンドランド犬としては老犬だ。でも今だに子犬の顔をし、好奇心旺盛。散歩中に他の犬を見つけたらしく、目を輝かせてその犬が来るのを待っている。メイン州、フロリダ州と、これまで難なく環境に適応してきたけれど、カンザスシティーもお手の物。本当のところは、どうもシティーガールのようだ。
Happy 2018 明けましておめでとうございます
We wish you a wonderful and prosperous New Year!
2018年は戌年です。戌年生まれの人は、義務感、忠誠心が強く、また正直であり、
人間性の中でもそういった全ての良い特性を持って生まれたことから、よりよい人間関係を築くために最善を尽くすと言われています。2018年は、この戌年という干支の力が、全人類へと及びますように。
長谷寺 ~ さくらは外、さくらは内?
日本人が、
桜に夢中になるのはなぜだろう?
はかない桜の花の命だと言う人もいるかもしれないが、桜が「美」なる気持を、簡単に心の中に呼び起こしてくれるからであることにはまちがいない。
どうして美を感じられると、
人は嬉しいのだろう?
桜だけでなく、人間は美しい型やフォームに、中毒ともいえるこだわりや感心をもっている。どうやら、これには理由があるようだ。人間は美について、ものが所有するある種の性質のように語るけれど、実のところ、「美」はそれを見る人の中にある。
それなら、「美は単なる個人的な意見だ」と言いたくなるかもしれないが、もっと複雑だ。なぜなら、美が、見る人の中に「だけ」存在するからだ。
つまり人間は、
内で美を創造するように創られているということ。
ここで言う創造とは、外にはないのに、内で「美しい!」と感じることによって、自らの中に美を創造するように創られているということだ。これは、すごいことじゃないだろうか! 美を見たり、美を体験したりすることは、人間という種が進化した生物であることの証なのだ。
Eric Kandel 氏は、有名な著書「The Age of Insight」の中でこんなことを言っている。
「画像を見て感じた美は、肯定的な感情だけでなく、愛のような、美的なものへの中毒のような感情をも呼び起こす。」
う〜ん、人間がこの世を愛するようになるのは、美あってこそのようだ。日本人が桜を愛するのも、桜によって心のなかで美が生まれるように。森であれ、一輪の花であれ、香りであれ、犬であれ、家族であれ、友だちであれ、音楽であれ……「自分の中で美となって創造されるもの」がまわりにある環境、そんな精神的な余裕のある環境は、人間にとってはとても大切なことなのかもしれない。それがあってこそ、地球を、自然を、人を愛おしむ思いを、自らの中に感じられるようになるのかもしれない。
だから、ネイティブアメリカンのワンパノーアグ族は、
「さようなら」のかわりに「ウーニッシュ」と言ったのだろう。
つまり、
“Walk in Beauty” 「美の中を歩いてください」