さくらは外、さくらは内?

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奈良の長谷寺 ©William Ash

日本人が、桜に夢中になるのはなぜだろう? はかない桜の花の命だと言う人もいるかもしれないが、桜が「美」なる気持を、簡単に心の中に呼び起こしてくれるからであることにはまちがいない。

どうして美を感じられると、人は嬉しいのだろう? 桜だけでなく、人間は美しい型やフォームに、中毒ともいえるこだわりや感心をもっている。なぜだろう?

どうやら、これには理由があるようだ。

人間は美について、ものが所有するある種の性質のように語るけれど、実のところ、「美」はそれを見る人の中にある。それなら、「美は単なる個人的な意見だ」と言いたくなるかもしれないが、もっと複雑だ。

なぜなら、美が、見る人の中に「だけ」存在するからだ。

つまり人間は、内で美を創造するように創られているということ。ここで言う創造とは、外にはないのに、内で「美しい!」と感じることによって、自らの中に美を創造するように創られているということだ。これは、すごいことじゃないだろうか! 美を見たり、美を体験したりすることは、人間という種が進化した生物であることの証なのだ。

Eric Kandel 氏は、有名な著書「The Age of Insight」の中でこんなことを言っている。
「画像を見て感じた美は、肯定的な感情だけでなく、愛のような、美的なものへの中毒のような感情をも呼び起こす。」

う〜ん、人間がこの世を愛するようになるのは、美あってこそのようだ。日本人が桜を愛するのも、桜によって心のなかで美が生まれるように。

森であれ、一輪の花であれ、香りであれ、犬であれ、家族であれ、友だちであれ、音楽であれ……「自分の中で美となって創造されるもの」がまわりにある環境、そんな精神的な余裕のある環境は、人間にとってはとても大切なことなのかもしれない。それがあってこそ、地球を、自然を、人を愛おしむ思いを、自らの中に感じられるようになるのかもしれない。

だから、ネイティブアメリカンのワンパノーアグ族は、
「さようなら」のかわりに「ウーニッシュ」と言ったのだろう。
つまり、
“Walk in Beauty”  「美の中を歩いてください」