マネシツグミ

©William Ash

午後、車庫の外で車の掃除をしていると、マネシツグミがすぐ近くの木にとまった。赤い木の実をつまんでは、歌い、つまんでは、歌い、30分ぐらいいただろうか。

見た目は地味な鳥なのに、声の美しいこと。しかも、その歌は単調ではなくて、音楽的に複雑な構成をしている。なぜなら、名前からもわかるように、他の鳥の歌をまねて、自分のものにしてしまう才能があるらしい。

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拡大してみると、見た目も悪くない……。目の周りや、嘴の下のおひげなど、なかなかなもの。全米で見られる鳥とはいえ、今日は間近でこの鳥の歌まねショーを見ることができて、真に光栄の至り。

近刊のお知らせ ~ Tsukiji

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Tsukiji: Tokyo Fish Market Suite (築地:東京魚市場組曲)が、もうすぐ発売になります。世界で最も大きな魚市場の様子をとらえた41枚の写真が、小作品からなる3部作の音楽となって流れていきます。1935年に造られた築地市場を移転するかどうか、東京都は検討中ですが、41枚の写真を築地への敬意として捧げたいと思います。発売予定は3月終、48ページのソフトカバー版です。

Winter Milky Way Rising ~ 冬の天の川

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晩秋のメイン州、日は短く、夜は深くなっていく。買い物からもどって車から降りれば、木立の向こうを天の川が流れていた。中央の木のすぐ上にあり、白い点が集まったように見えるのは、プレアデス、昴だ。画像の下あたりには、オリオン座が見える。(画像をクリックして、拡大してご覧ください)

Farewell to Summer

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©William Ash

アーカディア国立公園にあるキャデラック山頂に大の字になって、夜空を眺める……その夢がやっとかなった。

山頂は、夜空が綺麗な秋でも気温が低く、とてもそんなことはできないと思っていたのだが、コロンバスデーの日はインディアンサマーとなり、風もなく、夏の終わりのような晩となった。

まだ、天の川が見えた。不思議なことだ。寝ながら宇宙を眺めていたら、映画の「コンタクト」じゃないが、こんなに小さい自分なのに、こんなに大きなものの一部であることがうれしくなってきて、どこか明るい気持ちになった。昼間の自分が、いかにも孤独に思えた。

天文への興味から星を眺める生活をする人たちは、みな言うらしい。
「人間がみなこうして、夜に、宇宙を眺める生活を始めたら、人間社会はもっとちがうものになるだろう」

私たちは舞うものなり

japan_we_danceアメリカ人の学者ジョセフ・キャンベルが、日本を訪れたときの話としてよくとりあげた話がある。あるとき彼の耳に、アメリカ人の哲学者が神道の宮司に話しかけている声が聞こえてきた。

「私たちはたくさんのすばらしい儀式にも出ましたし、たくさんの神社も見学してきましたが、私にはどうも神道のイデオロギーがわかりません。神道の神学がわかりません。」

すると宮司は黙って質問の意味を考え、こう答えたという。
「神道にイデオロギーはありません。神学という体系もありません。私たちは舞うのです。」

 

長谷寺 ~ さくらは外、さくらは内?

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奈良の長谷寺 ©William Ash

日本人が、
桜に夢中になるのはなぜだろう?

はかない桜の花の命だと言う人もいるかもしれないが、桜が「美」なる気持を、簡単に心の中に呼び起こしてくれるからであることにはまちがいない。

どうして美を感じられると、
人は嬉しいのだろう?

桜だけでなく、人間は美しい型やフォームに、中毒ともいえるこだわりや感心をもっている。どうやら、これには理由があるようだ。人間は美について、ものが所有するある種の性質のように語るけれど、実のところ、「美」はそれを見る人の中にある。

それなら、「美は単なる個人的な意見だ」と言いたくなるかもしれないが、もっと複雑だ。なぜなら、美が、見る人の中に「だけ」存在するからだ。

つまり人間は、
内で美を創造するように創られているということ。

ここで言う創造とは、外にはないのに、内で「美しい!」と感じることによって、自らの中に美を創造するように創られているということだ。これは、すごいことじゃないだろうか! 美を見たり、美を体験したりすることは、人間という種が進化した生物であることの証なのだ。

Eric Kandel 氏は、有名な著書「The Age of Insight」の中でこんなことを言っている。
「画像を見て感じた美は、肯定的な感情だけでなく、愛のような、美的なものへの中毒のような感情をも呼び起こす。」

う〜ん、人間がこの世を愛するようになるのは、美あってこそのようだ。日本人が桜を愛するのも、桜によって心のなかで美が生まれるように。森であれ、一輪の花であれ、香りであれ、犬であれ、家族であれ、友だちであれ、音楽であれ……「自分の中で美となって創造されるもの」がまわりにある環境、そんな精神的な余裕のある環境は、人間にとってはとても大切なことなのかもしれない。それがあってこそ、地球を、自然を、人を愛おしむ思いを、自らの中に感じられるようになるのかもしれない。

だから、ネイティブアメリカンのワンパノーアグ族は、
「さようなら」のかわりに「ウーニッシュ」と言ったのだろう。

つまり、
“Walk in Beauty”  「美の中を歩いてください」

さくら、さくら

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©William Ash

2月に厳寒に咲く梅の花の高貴さにうたれ、3月に桃の花の愛らしさにほのぼのとし、やっとたどりつく桜の花。その華やかさに冬を忘れ、春になって踊りたくなるのも無理はない。でも、メイン州では春雨が小雪に変わる4月。やっとクロッカスが咲いた今。(写真の桜は、堺市の大仙公園にて撮影)

魚いっぱい?

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©William Ash

漁獲量を減らしても、タラが消えつづける?

最近、ニューヨークタイムズに、メイン州のタラ漁についてのショッキングな記事がのっていた。タラは、何十年もの乱獲のあとに、やっと2010年になって漁獲量が制限された。当初のプランでは、これによりタラの生息量がもどってくる予定だった。

ところが、減る一方。

おかしいと思って調査してみれば、予想外のことが海で起きていた。メイン湾が、世界の海域のなかでも、地球温暖化によって著しく水温が上がっている海域のひとつであることが判明したのだった。そのため、タラは生息数は回復どろこか、生殖率は落ち、死亡率は上がり……。

海洋研究者たちは、「漁獲量制限によってタラの回復を予想していた当初のプランは、水温上昇という要因を考えに入れず、あたかもタラの生息数がすぐにもどるような非現実的な期待を生んだ。」と酷評している。

もうタラだけでなく、地球環境全体を守らなければ、タラの数はメイン湾から減っていくばかり。困るのは人間も同じで、地域の経済成長は破壊され、仕事はなくなる。それを知りながら、どうも今の対策は、うまくいっていない。