宗教家はみな
「笑え。笑顔は人を幸せにする」と
偉そうに口を揃えて説教する。
ところが生まれてこの方
笑っている仏像など見たことがない。
本当は、そうした笑顔を
さっさとすっ飛ばしたところに、
この大仏様ような表情があるのではないだろうか
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カンザスシティーで10月5日に行われる Kansas City Japan Festival で、四国遍路道についてお話をさせていただくことになりました。夫婦で3周したときの経験を、写真をもとに語りたいと思います。スピーカーは、夫の William Ash ですので、英語になります。
日時:10月5日1時10分~2時10分
場所:Johnson County Community College の Recital Hall
Kansas City Japan Festival は、Heart of America Japan-America Societyによるもので、今年でなんと21回目。和太鼓、着物、侍文化、生け花、お習字、和食はもとより様々な日本文化を講演、実技、実習を通して、毎年カンザスシティーで紹介しています。今年は大阪から、居合道でとても有名な方がこられます。もちろん、和食のベンダーもきます。
私たちにとっては初めての参加ですが、とても内容の濃いもので毎年多くの人が訪れるそうです。お近くの方でお時間のある方は、どうぞお越しください。
詳しくは、Kansas City Japan Festival のこちらのサイトで。
日本人が、
桜に夢中になるのはなぜだろう?
はかない桜の花の命だと言う人もいるかもしれないが、桜が「美」なる気持を、簡単に心の中に呼び起こしてくれるからであることにはまちがいない。
どうして美を感じられると、
人は嬉しいのだろう?
桜だけでなく、人間は美しい型やフォームに、中毒ともいえるこだわりや感心をもっている。どうやら、これには理由があるようだ。人間は美について、ものが所有するある種の性質のように語るけれど、実のところ、「美」はそれを見る人の中にある。
それなら、「美は単なる個人的な意見だ」と言いたくなるかもしれないが、もっと複雑だ。なぜなら、美が、見る人の中に「だけ」存在するからだ。
つまり人間は、
内で美を創造するように創られているということ。
ここで言う創造とは、外にはないのに、内で「美しい!」と感じることによって、自らの中に美を創造するように創られているということだ。これは、すごいことじゃないだろうか! 美を見たり、美を体験したりすることは、人間という種が進化した生物であることの証なのだ。
Eric Kandel 氏は、有名な著書「The Age of Insight」の中でこんなことを言っている。
「画像を見て感じた美は、肯定的な感情だけでなく、愛のような、美的なものへの中毒のような感情をも呼び起こす。」
う〜ん、人間がこの世を愛するようになるのは、美あってこそのようだ。日本人が桜を愛するのも、桜によって心のなかで美が生まれるように。森であれ、一輪の花であれ、香りであれ、犬であれ、家族であれ、友だちであれ、音楽であれ……「自分の中で美となって創造されるもの」がまわりにある環境、そんな精神的な余裕のある環境は、人間にとってはとても大切なことなのかもしれない。それがあってこそ、地球を、自然を、人を愛おしむ思いを、自らの中に感じられるようになるのかもしれない。
だから、ネイティブアメリカンのワンパノーアグ族は、
「さようなら」のかわりに「ウーニッシュ」と言ったのだろう。
つまり、
“Walk in Beauty” 「美の中を歩いてください」
東京の浅草寺では、1月18日に亡者送りがおこなわれる。夕刻、堂内、境内の灯りがすべて消され、あたりは真っ暗となる。そこに突然、本堂の奥から鬼の姿をした二人の僧侶が、大きな松明をもって出てくる。松明を床や地面にたたきつけながら、境内を一気に抜け、近くの銭塚地蔵堂脇の小さな穴に松明を投入して火を消す。悪霊を鎮める儀式で、あっという間の5分ぐらいで終わる。除災招福祈願の新年行事の締めとして行われる。
鬼はひとりは赤、もうひとりは青の衣装をまとっている。松明の火の粉をあびたり、灰をもっていると、健康と金運に恵まれるといわれている。そのため、鬼ごっこどころか、危険もかえりみずに、逆に鬼を追いかけていく人も多い。
丸保山古墳の前には、八丈神社がある。この古墳も大仙古墳(仁徳天皇陵)の陪塚とされている。大仙古墳のすぐ西側にあり、全長が87メートルの前方後円墳だ。
堺市の百舌鳥古墳群の中に住めたことは、本当に貴重な経験だったと思っている。お墓でありながら、墳丘の「緑」と壕の「水」が、都会のなかで野生動物を呼ぶオアシスとなっている。また、周りが散歩道になっていたり、公園になっている古墳もあり、人々に愛されている。しかも、1カ所に集中することなく、4キロ四方にわたってこうしたオアシスが点在している。へんな話だが、古代の墓場に、未来の理想的なお墓、いや、未来都市のあり方を見た気がした。
永山古墳は全長およそ100メートルの前方後円墳で、大仙古墳(仁徳天皇陵)の陪塚と考えられている。私たちが堺に住んでいたときには、この壕は釣り堀として使用されていた。古墳のお堀で、釣り糸をたれてのんびりと釣りをしている人をみて、なんか時の流れを感じさせる風情があり、それでいてどこか悠長な景色だった。調べたところ、この釣り堀は2011年に95年の歴史をとじたらしい。(画像をクリックすると拡大されます)
堺市は人口84万人が住む政令都市だが、そんな開発し尽くされたような都市で、百舌鳥古墳群は、野生動物保護地域のようなすばらしい働きもしている。冬の夕暮れには、カラスの大群が、神秘めいて古墳の上を飛びまわる。夏には、クマゼミが大気を揺らさんばかりに、信じられないようなうるさい声で鳴く。お堀には魚はもちろん、それを目当てに鷺(さぎ)、鵜(う)、カモ、オシドリなどがやってくる。
下のいたすけ古墳には、コンクリートの橋が少し残っている。古墳を破壊して開発しようとしたときに造られたらしい。結局、開発に反対する市民運動によって、開発は阻止され、橋の残骸が残された。
いたすけ古墳で写真をとっていると、古墳の丘からタヌキがでてきた。まもなくして、近所の人だろうか? 父とその子供がやってきて、ソーセージを槍の先につけて、古墳のタヌキに飛ばしはじめた。タヌキは実に慣れたもので、的が外れてソーセージがお堀の水の方向にいくと、「無駄なことはいたしません」とばかりに、じっと橋の端からそれを傍観していた。空飛ぶごちそうが、しっかりと自分の方向に来たと確信したときにのみ、「よっこらしょっ」と動くのである。上の写真に、その3匹のタヌキが写っているのがわかるだろうか? このカメラをもった人間も「空飛ぶランチ」を携えてきたかどうか、チェックをしているのだろう。