横尾から奥穂高へ

kamikochi_yoko_dani_2

上高地から横尾を通って奥穂高をめざすルートは、登りやすいということもあって、とても人気がある。湿った森をぬけ、森林限界(2500m)をぬけて山頂をめざす。

夏の登山の時期は、6月の雨期と8月の台風の間のわずかな期間しかない。ベストは、7月の梅雨が明けてからの10日間。その間でも、晴れた空から突然に、雨がふってくることがある。冷たい雨なので、疲れた体にはかなりの負担となる。

自分もいち度、体温が突然に下がり、寒気がとまらなくなったことがあった。雨の最中にテントを急いではり、中で着替えをしたら、やっと寒気がとまったのを覚えている。そして、お湯をわかしてコーヒーを入れて、雨が止むのをまった。

何気にすぎた時間だったが、今にして思えば、あのとき、着替えやテントをもっていなかったら、命の危険さえあったかもしれない。若かったので、気にせずそのまま登山をつづけて、山頂に立った。90年代初め、当時は「山ガール」というものはいなかったが、私の山ガール時代の思い出のひとつである。

 

写真を楽しんでいただけましたら、ぜひにほんブログ村 写真ブログ デジタル一眼(PENTAX)へをクリックしてください。二つの写真ブログランキングに参加中で、クリックにより、ランクが上がります。本日も、ご訪問ありがとうございました。

上高地、梓川の渓谷

kamikochi_valley_floor

©William Ash クリックして拡大してご覧ください。

標高約1500mの上高地から、標高約1620mの横尾までの道は、梓川にそって渓谷をあるく。徒歩で約3時間かかるが、美しくゆるやかな山道だ。混雑していないのが、またいい。

さまざまな植物が道の両脇にみられ、写真のオオウバユリなどは高さが180センチをこえ、花も大きく、つい立ち止まって見入ってしまった。 この谷は、夏には牛の放牧地になっていたので、1927年にふたつのことが起きなければ、この自然はとうの昔に消えていたかもしれない。

そのできごととは、芥川龍之介の「河童」が発表され、その舞台が上高地であったことと、秩父宮殿下が上高地を訪れたことだ。このふたつのことが、上高地を牛の放牧地から、人気の観光地へと豹変させた。そして……、10年後に地域一帯は、中部山岳国立公園として永久に守れることになった。

 

上高地と日本アルプス

 

kamikochi_panorama

©William Ash クリックして拡大してご覧ください

30代前半の頃、夏になると二人して日本アルプスに登った。写真は、K1に立って撮影したもので、左から2番目の枠にあるのが霞沢岳(2646m)とK2。上高地からK2へのトレイルは、アップダウンが多くまた薮などもあり、とてもきつかったのを覚えている。

日本で3番目に高い山、奥穂高(3190m)が、右から2番目の枠のなかに見える。また、一番右の枠には槍ヶ岳(3180m)があり、そこから少し左にもっとも危険なトレイルのひとつであるで大キレットがくぼんで見える。活火山である焼岳(2455m)は、左から3番目の枠にある。

上高地から奥穂高へは、よく登った。このトレイルは今でこそ多くの人たちで混雑するが、上高地への登山を広めたのは、英国人宣教師のウォルター・ウエストンだった。19世紀おわりのことだった。

それまでは、山は日本人によっては信仰の対象であり、修行の場だったので、日本の山には頂に神社があったり、祠がおかれている。森をぬけ、けわしい坂をのぼり、自然の気配をからだ全身でうけながら登りづけて、青雲ただよう山頂にたつとき、そこに祠をおいた気持ちが、わかるような気がする。(写真をクリックして拡大してご覧ください。)

 

 

雲の名前

white_mountains_cloudscape

©William Ash  クリックして拡大してご覧ください

日本語で積乱雲は、入道雲とも呼ばれる。自ら輝きを放っているかのように見える雲に対して、積乱雲という言い方は、あまりに味気ない。「入道雲」のほうが、精霊が姿を現して、湧きあがりながら巨大になっていくスリルや畏敬の念を感じさせる。

英語では、積乱雲のことを、Cumulonimbusという。ラテン語からきていて、cumulusは、「積乱」という意味にすぎないが、nimbusの部分が、「光輪」「後光」という意味をもっている。やはり古代ローマ人も、山のように立ちのぼる雲に、聖者というか超自然的存在の神秘的な力を感じたようだ。

 

.写真を楽しんでいただけましたら、ぜひ にほんブログ村 写真ブログへをクリックしてください。二つの写真ブログランキングに参加中で、クリックにより、ランクが上がります。本日も、ご訪問ありがとうございました。

日本の思い出 ~ お茶屋の春

japan_tea_house

©William Ash クリックして拡大してご覧ください

お茶屋で、お抹茶を頂きながら過ごす春のひととき

お茶の苦みに 和菓子の甘み

茶碗の温かみに 陶器の色

空気を伝う音に 香り

お茶を頂くという ただそれだけのことから得られる静寂と その不可思議

しかも ほんの少しの時間とお金から得られるという ありがたさ。

 

 

.写真を楽しんでいただけましたら、ぜひ にほんブログ村 写真ブログへをクリックしてください。二つの写真ブログランキングに参加中で、クリックにより、ランクが上がるしくみになっています。本日も、ご訪問ありがとうございました。

日本の思い出 ~ お花見

japan_hanami_1

©William Ash  クリックして拡大してご覧ください

この時期、日本のブログをみると桜三昧で、日本中が桜の花で埋まっているかのようだ。メイン州では、やっと雪が消えたばかり。桜の樹も一度しかみたことがない。写真は、大阪の公園で10年以上も前に撮影したもので、お花見の人で木々の下はいっぱいだった。メインの家の窓ガラスから見た外の景色が、こんな感じであったなら‥‥。桜を愛でる人の心よ、桜は散っても、いつまでも幸え給え。

 

「日本の思い出~桜の花より生まれし人々へ」

桜の花のした
家族連れが 学生が 子供が 恋人たちが
歩いてはとまり 歩いてはとまり
まるで 稚児のようだ

ホームレスの人たちが
段ボールの家からでてきて 頭をつきあわせ
みんなで将棋をしている

鳥の声が 犬の吠える声が
カラオケの音が 手拍子の音がする

赤ん坊に 花を指さす母親がいて
その下で昼寝をしているおじさんがいる

コンビニの弁当を片手に 中学生たちがあつまって
地べたで笑い転げ
老人ホームの団体が 車いすを馬のようにのりこなし
バーベキューをしている

なんという所だろう
この人たちは どこからきたのだろう?

春は
得体のしれない空間を浮かばせる
それは 桜の花にはじまり おわる

鳥が 惜しげもなくついばむ花びらが
砂時計の砂のように
ひざを並べ 鮮やかな弁当に
箸をのばす人々に 落ちていく

あー 日本人よ こうして
つかの間の生を祝いながら
ともにのぼっていこう

DNAの螺旋を スルスルとのぼりつめ
桜の花のもとに集まろう
小さな座布団をも分ちあうことを知っている人々には
すわっても なおすわりきれない玉座が そこにある

さあ 日本人よ のぼっていこう
この世のものも あの世のものも
夜桜の下で 星をながめよう
愛でる心にすべてをゆずり、お腹一杯になった人々には
かなたの輝きも またなんて 親しいものに見えるだろう

(©Naomi Otsubo 2014)

 

(注)この詩のオリジナル版の英訳が「Translation:Bates International Poetry Festival 2011」に納められています。詳しくは、こちらをクリックしてください。

.写真を楽しんでいただけましたら、ぜひ にほんブログ村 写真ブログへをクリックしてください。二つの写真ブログランキングに参加中で、クリックにより、ランクが上がるしくみになっています。本日も、ご訪問ありがとうございました。

日本の思い出 ~ 築地 Part 3

tsukiji_fish_bucket

築地では毎日、2500トンもの魚貝類が取引され、魚の種類は450種類に及ぶ。

写真を楽しんでいただけましたら、ぜひ にほんブログ村 写真ブログへをクリックしてください。二つの写真ブログランキングに参加中で、クリックにより、人気ランクが上がるしくみになっています。尚、クリックによりブログ村のウインドウが開きますので、そちらにある数々の日本の人気ブログもお楽しみになれます。本日も、ご訪問ありがとうございました。

ふとん太鼓 〜 祝う

futon_daiko_ume_kita_cho

大阪堺市の百舌鳥八幡寓で行われる月見祭りは、長い間、住民の間で守られてきた地域のお祭りだ。9月か10月の満月の週末に行われ、九つの町が参加して、壮麗な九つのふとん太鼓が出る。それぞれの太鼓を担いで練り歩くのには、少なくとも100人以上が必要で、担ぎ手や応援する人々をみていると、住民の繋がりの強さが感じられてくる。

Futon Daiko - William Ash

写真を楽しんでいただけましたら、ぜひ にほんブログ村 写真ブログへをクリックしてください。二つの写真ブログランキングに参加中で、クリックにより、人気ランクが上がるしくみになっています。尚、クリックによりブログ村のウインドウが開きますので、そちらにある数々の日本の人気ブログもお楽しみになれます。本日も、ご訪問ありがとうございました。

熊谷寺, 八番札所—四国遍路

shikoku_temple_8_bell_tower

©William Ash

熊谷寺は、その名前ほど、恐ろしいところではない。むしろのどかなお寺で、小さな谷の端にある。写真の右は本堂、左の階段は大師堂へと続いている。

鐘撞き堂で鐘をつきながら、私たちは、あるアメリカ人夫婦のことを思っていた。まだ遍路道ブームがおこる前の90年代、かれらは遍路道をテントをかついで歩いて巡り、この鐘撞き堂では、住職から許されて一夜を過ごした。そう‥‥、かれらこそ、私たちが遍路道を歩くきっかけとなったのだった。

 

30代のアメリカ人と日本人の夫婦が、八十八カ所や奥の院、番外を訪ねながら
四国遍路道を歩いて3周した遍路日記をまとめた聖地巡礼メモア
「空海の人びと」
電子書籍ソフトカバー本で発売中。