アーカディア国立公園のスクーデッィク・ポイント(Schoodic Point in Acadia National Park, Maine) Click on the image for a larger view.
石ころは 色 音 時
石ころは 顔 思い出 星
石ころは 勇気 優しさ 重さ
10年住んだイン州を離れて3年になるが、あの美しい自然が懐かしくてしかたがない。さすが、「バケーションランド」という異名をもつ州だけあった。
でも、冬が来るたびに、厳寒のメイン州を離れてよかったと思ったりもする。とくに、今、住んでいるミズーリ州は、冬でも東京のような気候であり、町中を歩けたりする。体の開放感が、全くちがう。
ずっと「自分たちにとって幸せな生活環境とは何か」を考え、実験してきたが、人間の生活には、自然、人、文化など、様々なものがあってこそ驚いたり、感動したりして豊かになる。問題は、いかにそれらをいっしょにつなげるか……。
日本でも田舎暮らしがはやっているようだが、いい点も悪い点もあり、来年こそは、これまで体験してきたメイン州の田舎暮らし、カンザスシティの都会暮らし、フロリダの巨大分譲地暮らしを比較して、ブログに書いてこうと思う。
翼があればいいなぁ……。
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アーカディア国立公園のキャデラック山への道では、野草がすっかり秋の色をして、夕陽の中で輝いていた。
かなり前のことだが、日本で生け花とお茶を習ったことがあった。10月の茶会のときには、先生が、野草の生け花を飾られた。この「野花の投げ入れの茶花」には、いつも息を飲んだ。小さな器だったのに、画像のような一面の野原を思わせた。すばらしかった。
先生の心の中には、こんな野原があったのだろう。茶花を見るたびに、私はその野に立っていたのかもしれない。それとも、未来にメイン州の秋の野原に立っている自分にシンクロしていたのか。だから、あんなにじ〜っと茶花を見つめてしまったのだろうか。
半世紀も生きてくると、「感じる」ということが、感情のアップダウンという、ハリウッド映画のようなそんな単純なことではないのがわかる。50歳過ぎてから、「だからあの時は、あんな風に感じたんだなぁ〜」と納得したりする。
「今、感じていることが、未来のどこかにあるのかもしれない」と思いはじめると、「感じ」よりも、「本当は、いったい何を見ているのか」が気になってくる。
Little Moose Island(小さなムース島)より。 Acadia National Park.