私たちは舞うものなり

japan_we_danceアメリカ人の学者ジョセフ・キャンベルが、日本を訪れたときの話としてよくとりあげた話がある。あるとき彼の耳に、アメリカ人の哲学者が神道の宮司に話しかけている声が聞こえてきた。

「私たちはたくさんのすばらしい儀式にも出ましたし、たくさんの神社も見学してきましたが、私にはどうも神道のイデオロギーがわかりません。神道の神学がわかりません。」

すると宮司は黙って質問の意味を考え、こう答えたという。
「神道にイデオロギーはありません。神学という体系もありません。私たちは舞うのです。」

 

長谷寺 ~ さくらは外、さくらは内?

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奈良の長谷寺 ©William Ash

日本人が、
桜に夢中になるのはなぜだろう?

はかない桜の花の命だと言う人もいるかもしれないが、桜が「美」なる気持を、簡単に心の中に呼び起こしてくれるからであることにはまちがいない。

どうして美を感じられると、
人は嬉しいのだろう?

桜だけでなく、人間は美しい型やフォームに、中毒ともいえるこだわりや感心をもっている。どうやら、これには理由があるようだ。人間は美について、ものが所有するある種の性質のように語るけれど、実のところ、「美」はそれを見る人の中にある。

それなら、「美は単なる個人的な意見だ」と言いたくなるかもしれないが、もっと複雑だ。なぜなら、美が、見る人の中に「だけ」存在するからだ。

つまり人間は、
内で美を創造するように創られているということ。

ここで言う創造とは、外にはないのに、内で「美しい!」と感じることによって、自らの中に美を創造するように創られているということだ。これは、すごいことじゃないだろうか! 美を見たり、美を体験したりすることは、人間という種が進化した生物であることの証なのだ。

Eric Kandel 氏は、有名な著書「The Age of Insight」の中でこんなことを言っている。
「画像を見て感じた美は、肯定的な感情だけでなく、愛のような、美的なものへの中毒のような感情をも呼び起こす。」

う〜ん、人間がこの世を愛するようになるのは、美あってこそのようだ。日本人が桜を愛するのも、桜によって心のなかで美が生まれるように。森であれ、一輪の花であれ、香りであれ、犬であれ、家族であれ、友だちであれ、音楽であれ……「自分の中で美となって創造されるもの」がまわりにある環境、そんな精神的な余裕のある環境は、人間にとってはとても大切なことなのかもしれない。それがあってこそ、地球を、自然を、人を愛おしむ思いを、自らの中に感じられるようになるのかもしれない。

だから、ネイティブアメリカンのワンパノーアグ族は、
「さようなら」のかわりに「ウーニッシュ」と言ったのだろう。

つまり、
“Walk in Beauty”  「美の中を歩いてください」

さくら、さくら

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©William Ash

2月に厳寒に咲く梅の花の高貴さにうたれ、3月に桃の花の愛らしさにほのぼのとし、やっとたどりつく桜の花。その華やかさに冬を忘れ、春になって踊りたくなるのも無理はない。でも、メイン州では春雨が小雪に変わる4月。やっとクロッカスが咲いた今。(写真の桜は、堺市の大仙公園にて撮影)

魚いっぱい?

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©William Ash

漁獲量を減らしても、タラが消えつづける?

最近、ニューヨークタイムズに、メイン州のタラ漁についてのショッキングな記事がのっていた。タラは、何十年もの乱獲のあとに、やっと2010年になって漁獲量が制限された。当初のプランでは、これによりタラの生息量がもどってくる予定だった。

ところが、減る一方。

おかしいと思って調査してみれば、予想外のことが海で起きていた。メイン湾が、世界の海域のなかでも、地球温暖化によって著しく水温が上がっている海域のひとつであることが判明したのだった。そのため、タラは生息数は回復どろこか、生殖率は落ち、死亡率は上がり……。

海洋研究者たちは、「漁獲量制限によってタラの回復を予想していた当初のプランは、水温上昇という要因を考えに入れず、あたかもタラの生息数がすぐにもどるような非現実的な期待を生んだ。」と酷評している。

もうタラだけでなく、地球環境全体を守らなければ、タラの数はメイン湾から減っていくばかり。困るのは人間も同じで、地域の経済成長は破壊され、仕事はなくなる。それを知りながら、どうも今の対策は、うまくいっていない。

王女のレースと毒草—食べられる庭から

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©William Ash

英名 Queen Anne’s Lace は、その名(アン王女のレース)にふさわしい美しい白い小花をたくさんつけている。野原に広がっている姿は、清廉そのもの。学名は「 Daucus carota」で、和名は「ノラニンジン」。

二年生で、かつてヨーロッパで食用として栽培されていた歴史をもつりっぱな野菜だった。今のニンジンの祖先らしい。現在では、根や葉にある薬用効果も認められている。ところが、これにそっくりな強い毒草があり、しかもいっしょに咲いていることがあり、とても危ない。 続きを読む

足元の水音—Tokyo Landscape

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©William Ash

東京の高田馬場。写真の付近は、善福寺川が地下水路へと入っていくあたりで、川はやがてまた地上に出て神田川と合流する。先月末に出版した写真集「地水火風空〜東京ランドスケープ」に入れた写真は、プロジェクトのために撮影した写真のうちの2%にも満たない。この写真も、入れなかった98%のうちの一枚だ。

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ウインド・レジスタンス

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©William Ash

強い風が抜けていく森で、大きく揺れる樹もあれば、踏んばっている樹もある。
目を閉じれば 風の音は波音に聞こえてきて、海の底にいるような気がしてくる。
樹も水の造形であり、とても、とても大切なのだと音から学ぶ。

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ランドマークの定義

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©William Ash

女神が海を見渡して、トーチを空へと掲げている。自由の女神は、世界中の疲れた人々や虐げられてきた人々を受け入れることを宣言するもので、彼女の後ろには、海をわたってきて夢を叶えようとする人々が目指す大都市が横たわる。

日本には、写真の東京をふくめた4都市に、自由の女神のレプリカがあるそうだ。女神の慈愛の精神にふさわしい都市を目指しているのだろうけれど、ニューヨークの自由の女神様も、日本の自由の女神様も、たまには後ろを振り返って、内陸の様子も見ていただきたいもの‥。

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