Time and Tides

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©William Ash

リード州立公園にあるマイルビーチ(Mile Beach)はいつきても美しい。季節を問わない。ここにくると、いつも水平線ばかり見ていたけれど、たまたま振り返ってみれば、こんな風景が目に入ってきた。大いなる海から陸をみる海鳥やイルカ、上がってこようとする亀たちは、いったい陸にどんな思いを寄せているのだろう……。

冬の美しいマイルビーチは、こちら

Gray and Overcast

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©William Ash

先週は秋雨が続いて、灰色の中で紅葉の色が一層映えた。とはいえ、美しい紅葉の季節は終わりを迎えようとしている。最低気温は、0度近くになってきた。目は色の輝きをみつめて止まないが、冷たい風が首筋に流れこんでくると、真っ白な冬の森がしのびこむように風景に重なってくる。

Fruit of the Forest ~ 森の果実 

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©William Ash

食べられはしないけれど、落ち葉は森が生み出す果実のようなもの。夏には日陰を、秋には色を森に与え、今は、散って地面を守り、栄養を与えている。画像のキノコはなんなのかわからないが、緑色の葉は、春先に林床に広がるスズランの葉だ。

Autumn Sunset ~ 茶花の野原

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©William Ash

アーカディア国立公園のキャデラック山への道では、野草がすっかり秋の色をして、夕陽の中で輝いていた。

かなり前のことだが、日本で生け花とお茶を習ったことがあった。10月の茶会のときには、先生が、野草の生け花を飾られた。この「野花の投げ入れの茶花」には、いつも息を飲んだ。小さな器だったのに、画像のような一面の野原を思わせた。すばらしかった。

先生の心の中には、こんな野原があったのだろう。茶花を見るたびに、私はその野に立っていたのかもしれない。それとも、未来にメイン州の秋の野原に立っている自分にシンクロしていたのか。だから、あんなにじ〜っと茶花を見つめてしまったのだろうか。

半世紀も生きてくると、「感じる」ということが、感情のアップダウンという、ハリウッド映画のようなそんな単純なことではないのがわかる。50歳過ぎてから、「だからあの時は、あんな風に感じたんだなぁ〜」と納得したりする。

「今、感じていることが、未来のどこかにあるのかもしれない」と思いはじめると、「感じ」よりも、「本当は、いったい何を見ているのか」が気になってくる。

Columbus Day か Indigenous People’s Day

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©William Ash

先週末はコロンバスデーのウィークエンドで、アーカディア国立公園には、たくさんの人が繰り出していた。

コロンバスデーは、コロンバスがアメリカ大陸に到着した記念日らしいが、先住民側にしたら、侵略が始まった日となる。先住民の受けた苦しみを考慮して、「先住民の日」(Indigenous People’s Day)と名前を変えた州もあれば、祝日にしない州もある。

今、人類が目指す火星には、先住民というか、征服される生物がいないことを祈るばかりだ。火星に到着した日には、「平和と友好」の象徴となるような名前がつけられればいいな。

Fall 2016 ~ もう秋 2016

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©William Ash

秋の雨に、どんよりとした週末だった。秋のはじまりは、いつもこう。写真は、野原の小さなカエデの木。緑の色が、温かみのある色合いに変わっていく。短い間だけれど、野原は、これから色の海のようになる。

Grape Harvest ~ 青ぶどうの収穫

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©William Ash

気温がどんどん下がってきたので、昨日、最後のぶどうを収穫した。まだ少し青めだが、数日おけば甘くなる。4.2リットルのボール、三杯分ほどだった。今年は一本の木から、合計で7杯〜8杯とれた。ちょっとがんばりすぎたから、来年はこのぶどうの木は、お休みするかな?

雨の少ない春、夏だったが、ブラックベリー、モモ、ぶどうと、果物は何もしないでも豊作となった。完全野放し栽培というか、オーガニック、有機栽培の果物。7月の終わりから、毎日そんな果物を食べ続けていたら、腸の中が変わった。半端な量じゃなかったから、菌類が変わったかな?