家のまわりの森は、冬になると広々とした感じになる。他の季節とちがって、隠れているものなどない。すべてが見渡せてしまうから、探してまわる必要もない。そんな森に入っていくと、巨大で空っぽな倉庫に入っていくような感じがしてくる。
「FUJIFILM X Pro 2」タグアーカイブ
Winter Fields ~ 冬の野原
Winter Blackberries ~ 冬のブラックベリー
先週は一月だというのに、気温が0℃以上になった。珍しいことに雨が降り、それがやがてみぞれになり、あられとなり、雪がちらくといった感じだった。一日の間に、水が変幻自在に姿を変えて空から降ってきて、天気予報のお兄さんは、「こんな天気は、初めてだ〜」と言っていた。
例年なら雪が深いので、スノーシューズをはくのだが、今年は雨のあとに気温が下がったので、雪は固い氷となっている。滑りやすいので、アイゼンをつけて野原に行ってみれば、ブラックベリーが、明るい白のキャンバスに固い黒線となって抽象画の世界を創っていた。あまりに、夏の姿とは違う。
A Different Light ~ 光がちがえば Part 2
近赤外線で見たフロリダの植林地。とてもフロリダの風景とは思えないが、近赤外線の森のほうが、樹々の本質が現れているような……。
Road Closed ~ 通行止め
予定通りにいく旅などないけれど、ブルーリッジ・パークウェイの長〜い旅もまた同じで、この日は数日前の土砂崩れで、通行止めになっていた。ひとつの道が閉ざされれば、また別な道が開かれるもの。閉鎖されていた所が、ラッキーなことにミッチェル山の入口の先だったので、ミシシッピー川東部においては最高峰なるこの山の頂に立つことができた。
ミッチェル山は、ニューハンプシャー州にある標高1917m のワシントン山よりも122 m も高いのに、高山帯に属するワシントン山とちがって、頂には樹々が生えている。
12月の下旬で、気温は3℃。風が強い日だった。一年中、この山頂に住んでいる森林警備隊の青年によれば、この暖かさは異常だという。例年ならば、すでに60 cm ぐらいの雪が積もり、雪と氷の世界となって、寒いなんてものじゃないらしい。そうなってくると、もちろん道も閉鎖されることがあるという。青年は暖かいと言ったが、3℃でも私たちには風が冷たく感じられ、早々に山頂をあとにしてグリーンノブ方面へと道を下り町に出た。
グリーン・ノブの夕暮れ
シェナンドー国立公園のスカイライン・ドライブから、バージニア州、ノースキャロライナ州を走る全長755キロのブルーリッジ・パークウエイ(Blue Ridge Parkway)には、たくさんの展望台がある。画像は、そのひとつであるグリーン・ノブ(Green Knob)からの風景。
眼下の町の人たちは、「もう日が暮れてしまった」と感じていることだろうけれど、標高1450 mから眺めると、まだまだ地平線を染める光が残っているのがわかる。上から眺めると、こんなにも優しい光に包まれながら夜のとばりを迎える人間が、心を煩わせながら忙しく夕暮れ時を過ごしているということが、不思議に思えてくる。他の動物は、いったいどうしているのだろう?
(このサイトは、日英のバイリンガルサイトです。右上の「言語」を「日本語」から「English」に切換えると、英語版になります。)
Shenandoah ~ シェナンドー国立公園
12月下旬に、アメリカ東海岸の北端のメイン州から、南の端にあるフロリダまでドライブをした。
画像はバージニア州のシェナンドー国立公園を走るスカイラインドライブ(全長169キロ)から、シェナンドー渓谷を撮ったもの。東名高速で東京ー静岡間が161キロだから、その間をずっと景色のみごとな森の中をアップダウンしながら抜ける。
さらにこのスカイライン(25ドル)は、ブルーリッジパークウエイという無料の道に続き、バージニアからノースカロライナ州を抜けて755キロもある。この道も同じぐらいドライバーを夢見心地にしてくれる。
冬枯れの森といえども、静かで心安らかな時間が流れる。夏と秋には、大混雑するようだ。
Eastern Seaboard ~ 東の海岸地帯
チェサピークベイ・ブリッジトンネル(Chesapeake Bay Bridge-Tunnel)の両端から眺めた大西洋の様子。右の湿地帯はケープチャールズ側で、野生動物の保護地区になっている。ビジターセンターがあり、短いハイキングコースがある。
Crossing the Chesapeake ~ チェサピーク湾を渡る
Sun Worshipers ~ 太陽を拝む人びと
朝7時すぎ、メリーランド州のオーシャンビーチには、朝日を拝む人びとの姿があった。文化にかかわらず、人間は、美しい朝日を拝みたくなる。それは儀式であり、新しい一日がはじまるという、時間がリセットされたような楽観的な気持ちにしてくれる。水平線上を昇ってくる太陽は、何度見ても、新鮮な経験だ。
人間は、こうして長い間、朝日を拝んできた。
そして、この時代に生まれた自分の心の中には、昇ってくる太陽を見ながらも、母なる地球が自転していて、太陽の光が今、アメリカ大陸の端を照らしはじめているという、衛星から眺めているような映像が浮んでくる。浜にいながらも、大きな宇宙の中にいること。その不思議に、笑顔が出る。