ひとりの 日曜日に
いちめんの 雪
みつめる わたし
音のない わたし
(1989年)
恋愛詩集「乙姫から浦島太郎に告ぐ」第1章出会い前 by Naomi Otsubo より
この詩の英訳は、こちら。
ひとりの 日曜日に
いちめんの 雪
みつめる わたし
音のない わたし
(1989年)
この詩の英訳は、こちら。
自分の葬式
他人の葬式
死んでから
鳴いて感謝するよりも
向かい合った「ありがとう」を
私は選ぶ
(1988)
この詩の英訳はこちらの英語サイトにて
真夜中の宴会は
ただの かなしみ
目の前のタクシーは
ただの かぼちゃ
かほちゃよ かぼちゃ
今日のは 白いな
(1990)
この詩の英訳はこちらの英語サイトにて
まあ
なんて からっぽ
みごとに からっぽ
ずっと からっぽ
でも
それでいいの 私のこころよ
それが なにより
ほんとに なにより
今しばらくは
そこでおとなしく しておいで
(1988)
この詩の英訳はこちらの英語サイトにて
自分から 人に
話しかけることができた日は
どんな人も 美しく思える
大気が きらめいて見える
どうしたものか 自分よ
何もそこまで 孤独になるな
(1987)
この詩の英訳は、こちらの英語版サイトへどうぞ
今週の10月5~8日に間、Tokyo Art Book Fairに参加します。Zセクションの011番ブースです。この紫のバーナーが目印です! お待ちしてます。
この時期、日本のブログをみると桜三昧で、日本中が桜の花で埋まっているかのようだ。メイン州では、やっと雪が消えたばかり。桜の樹も一度しかみたことがない。写真は、大阪の公園で10年以上も前に撮影したもので、お花見の人で木々の下はいっぱいだった。メインの家の窓ガラスから見た外の景色が、こんな感じであったなら‥‥。桜を愛でる人の心よ、桜は散っても、いつまでも幸え給え。
「日本の思い出~桜の花より生まれし人々へ」
桜の花のした
家族連れが 学生が 子供が 恋人たちが
歩いてはとまり 歩いてはとまり
まるで 稚児のようだ
ホームレスの人たちが
段ボールの家からでてきて 頭をつきあわせ
みんなで将棋をしている
鳥の声が 犬の吠える声が
カラオケの音が 手拍子の音がする
赤ん坊に 花を指さす母親がいて
その下で昼寝をしているおじさんがいる
コンビニの弁当を片手に 中学生たちがあつまって
地べたで笑い転げ
老人ホームの団体が 車いすを馬のようにのりこなし
バーベキューをしている
なんという所だろう
この人たちは どこからきたのだろう?
春は
得体のしれない空間を浮かばせる
それは 桜の花にはじまり おわる
鳥が 惜しげもなくついばむ花びらが
砂時計の砂のように
ひざを並べ 鮮やかな弁当に
箸をのばす人々に 落ちていく
あー 日本人よ こうして
つかの間の生を祝いながら
ともにのぼっていこう
DNAの螺旋を スルスルとのぼりつめ
桜の花のもとに集まろう
小さな座布団をも分ちあうことを知っている人々には
すわっても なおすわりきれない玉座が そこにある
さあ 日本人よ のぼっていこう
この世のものも あの世のものも
夜桜の下で 星をながめよう
愛でる心にすべてをゆずり、お腹一杯になった人々には
かなたの輝きも またなんて 親しいものに見えるだろう
(©Naomi Otsubo 2014)
(注)この詩のオリジナル版の英訳が「Translation:Bates International Poetry Festival 2011」に納められています。詳しくは、こちらをクリックしてください。
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暖気がぬけたあと、水分をたっぷりふくんだ重い雪が降った。雪だるまをつくるのにはもってこいだが、雪かきをする身には‥‥こたえる。常緑樹にもべっとりとついて、そのまま凍りついてしまった。日頃は、落葉樹の葉の色の移り変わりに目がいきがちだが、松やもみ、トウヒといった針葉樹は、冬になると、その貫禄を十分にみせてくる。実に大らかで、雪をまとった姿には、どこか高貴な余裕が感じられる。その足元で暮らしている自分は、さながらホビットというところか。
「仏像」
緑の衣に 白い雪
ゆったりと しなりながら
厳寒の森にたつ針葉樹
見上げる私には
目をふせて
少し微笑んでいるお顔が見えるよう
あなた方は
彫られる前から 仏様
©Naomi Otsubo
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