キャニオン・デ・シェイ国定公園  Part 2

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©William Ash

公園がある地域には、現在住んでいるナバホ以前に、アナサジと呼ばれる人々が住んでいた。写真のアンテロープ・ハウス遺跡(Antelope House Ruin)のまわりには、11世紀から13世紀にかけて、大きなアナサジの集落があったらしい。

写真の右よりの高い建造物は、渓谷の赤い断崖にそって作られた要塞のひとつで、かつては4階だてぐらいの高さがあったらしく、部屋数も90を超えていたことがわかっている。そのまわりに残されている円形のものは、キバ(kiva)と呼ばれ、儀式や宗教行事が執り行われた。それでも、多くの人々は、こうした建造物の外に住んでいたらしい。

ところが、1300年代には、この遺跡の地域からアナサジは消えている。理由はよくわかっていないが、1276年から1299年まで干ばつが続いたことや、人口が増えすぎて、環境が悪化した証拠が残されている。どこに消えたのか? 現在のホピ、ズーニー、アコマは、このアナサジの子孫と言われている。

21世紀
移り住む場所があるとは限らない。
火星にいくお金もガッツもない。
みなさん、いっしょに地球を大事にしましょ〜う!

 

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キャニオン・デ・シェイ国定公園  Part1

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©William Ash

一見すると、空へとそびえているものを見ているような気がする。が、実はちがう。地下へと掘られたものを見下ろしているのである。その深さは、300メートル。ちなみに、東京タワーの高さは333メートル。画像をクリックしてみてほしい。

アメリカ南西部のアリゾナ州にあるキャニオン・デ・シェイ(Canyon de Chelly)国定公園は、平原が河川によって浸食されて生まれた。深さ300メートルもある断崖が、42kmにわたって細長く東西に伸びている。

写真の中心にある塔のように切り立つ岩は、スパイダーロック(Spider Rock)。公園内の見所のひとつであるだけでなく、先住民族のナバホは今でも、この岩を精神的,地理的な中心として崇めている。かつて怪物たちを退治し、ナバホが今でもその卓越した技術で知られている織物の技術を授けたと伝えられるスパイダーウーマン(Spider Woman) が、この岩に住んでいるといわれている。

スピーキングロック(Speaking Rock) 、またはトーキングロック(Talking Rock)と呼ばれる岩が、画像の左端にある。ナバホが子供たちに話すお話のなかに、ふたつの岩にまつわるものがある。

「いたずらばかりしていると、スピーキングロックが、スパイダーウーマンに教えてしまうぞ。スパイダーウーマンが捕まえにきて、岩の家につれていかれ、そこで食べられてしまうぞ。どうして、岩の天辺だけが白っぽいと思う?あれは、実は食べられた哀れな子供たちの骨なんだぞ。」

写真の地平線の中央あたり、遥か遠くには、ブラックロック(Black Rock) とよばれる山がみえる。火山が浸食されて、火道内のマグマが硬化してのこされた火山岩栓だ。

火山、噴火、300メートルも切り取られた渓谷、そこを守る人々、彼らに伝わる伝統とお話‥‥。こういう場所にいくと、自分なんてどうでもいいように思え、それがまた心地よかったりする。

 

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日本の思い出 ~ 東京の路上にて

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©William Ash

日本人はどんな人たちか?と聞かれたら、僕はこう答える。
「温かくて、寛容な人たち」

どこの国でも、国民性となるとステレオタイプ的になり、それによって人は洗脳される。日本人も同じだ。でも、もっと時間をとって人々や生活を自分で経験してみると、ぜんぜん違う表情が見えてくる。

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日本の思い出 ~ 神田の古本屋

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©William Ash

これは、1995年に神田の古本屋街でMamiya 6 を使って撮った一枚。もちろんフィルムカメラ。自然環境を考えると、出版としては、電子書籍以外の選択肢はもはや残されていないように思われる。古本も、消えていくのかもしれない。でも、古本の匂いや、日焼けしたカバー、手あかや染みといった人間臭さや時の経過、人が何かを学ぼうとした熱意が、一冊の古い紙の束をとおして人から人へ伝わってくるあの感覚が、電子化によって消えていくかと思うと、寂しい気がする。せめて、今、自分の本箱にある紙の本は、大切に持っていようと思う。

 

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亡者送り ~ 新年の祈願の締め

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©William Ash

 

東京の浅草寺では、1月18日に亡者送りがおこなわれる。夕刻、堂内、境内の灯りがすべて消され、あたりは真っ暗となる。そこに突然、本堂の奥から鬼の姿をした二人の僧侶が、大きな松明をもって出てくる。松明を床や地面にたたきつけながら、境内を一気に抜け、近くの銭塚地蔵堂脇の小さな穴に松明を投入して火を消す。悪霊を鎮める儀式で、あっという間の5分ぐらいで終わる。除災招福祈願の新年行事の締めとして行われる。

鬼はひとりは赤、もうひとりは青の衣装をまとっている。松明の火の粉をあびたり、灰をもっていると、健康と金運に恵まれるといわれている。そのため、鬼ごっこどころか、危険もかえりみずに、逆に鬼を追いかけていく人も多い。

丸保山古墳と百舌鳥古墳群

kofun_maruhoyama2丸保山古墳の前には、八丈神社がある。この古墳も大仙古墳(仁徳天皇陵)の陪塚とされている。大仙古墳のすぐ西側にあり、全長が87メートルの前方後円墳だ。
kofun_maruhoyama1堺市の百舌鳥古墳群の中に住めたことは、本当に貴重な経験だったと思っている。お墓でありながら、墳丘の「緑」と壕の「水」が、都会のなかで野生動物を呼ぶオアシスとなっている。また、周りが散歩道になっていたり、公園になっている古墳もあり、人々に愛されている。しかも、1カ所に集中することなく、4キロ四方にわたってこうしたオアシスが点在している。へんな話だが、古代の墓場に、未来の理想的なお墓、いや、未来都市のあり方を見た気がした。

 

永山古墳と百舌鳥古墳群

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永山古墳 by William Ash

永山古墳は全長およそ100メートルの前方後円墳で、大仙古墳(仁徳天皇陵)の陪塚と考えられている。私たちが堺に住んでいたときには、この壕は釣り堀として使用されていた。古墳のお堀で、釣り糸をたれてのんびりと釣りをしている人をみて、なんか時の流れを感じさせる風情があり、それでいてどこか悠長な景色だった。調べたところ、この釣り堀は2011年に95年の歴史をとじたらしい。(画像をクリックすると拡大されます)

乳岡古墳と百舌鳥古墳群

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乳岡古墳 by William Ash

堺には大小あわせて107の古墳があったが、60基以上が消滅している。残されたものでも、壕が埋め立てられて住宅地になったり、墳丘そのものが削られるなどしている。写真の右をしめる乳岡古墳は、百舌鳥古墳群のなかで、最も古いものらしく、かつては全長155メートルもあった前方後円墳だったが、今では後円部が残るだけとなっている。

定の山古墳と百舌鳥古墳群

定の山古墳は、墳丘の長さが69メートルと小さい古墳で、今では城の山公園の一部となって保存されている。写真をとった時は、丘の上で本を読んでいる人がいた。春の晴れた日に、4世紀または5世紀に造られた古墳の上で、横になって読書をするとは、どこか遥かなる時間の流れを感じてしまう。

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定の山古墳 by William Ash

仮に1500年後の西暦3500年ぐらいに、まだ人類がいるとする。いかに文明が進んでいても、自分の骨がかつて埋められた場所の上には、木々が伸び、お花も咲いていて、そこに横になっている人間がいる。そして、空を眺めながら、「あの雲はクジラみたいだなあ」なんて思いながら、悠々と流れる雲を見ていてくれたらいいなあと思う。

いたすけ古墳と百舌鳥古墳群

堺市は人口84万人が住む政令都市だが、そんな開発し尽くされたような都市で、百舌鳥古墳群は、野生動物保護地域のようなすばらしい働きもしている。冬の夕暮れには、カラスの大群が、神秘めいて古墳の上を飛びまわる。夏には、クマゼミが大気を揺らさんばかりに、信じられないようなうるさい声で鳴く。お堀には魚はもちろん、それを目当てに鷺(さぎ)、鵜(う)、カモ、オシドリなどがやってくる。

下のいたすけ古墳には、コンクリートの橋が少し残っている。古墳を破壊して開発しようとしたときに造られたらしい。結局、開発に反対する市民運動によって、開発は阻止され、橋の残骸が残された。

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いたすけ古墳  by William Ash

いたすけ古墳で写真をとっていると、古墳の丘からタヌキがでてきた。まもなくして、近所の人だろうか? 父とその子供がやってきて、ソーセージを槍の先につけて、古墳のタヌキに飛ばしはじめた。タヌキは実に慣れたもので、的が外れてソーセージがお堀の水の方向にいくと、「無駄なことはいたしません」とばかりに、じっと橋の端からそれを傍観していた。空飛ぶごちそうが、しっかりと自分の方向に来たと確信したときにのみ、「よっこらしょっ」と動くのである。上の写真に、その3匹のタヌキが写っているのがわかるだろうか? このカメラをもった人間も「空飛ぶランチ」を携えてきたかどうか、チェックをしているのだろう。