Naomi and I wish you a wonderful Thanksgiving.
七面鳥A
「あの〜、感謝祭ぐらい、私たちを食べないという発想は浮びませんか?」
七面鳥B
「浮びませんか?」
夏に、上高地から槍ヶ岳(3180m)をめざす人は多い。頂上部分は、槍のようにとがっているので、はしごを使う。
はしごを登っている途中で下を見れば、ゾロゾロと下から人が登ってくる。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のように、たくさんの人が、なにがなんでも頂上にいきたいのと、落ちたくないので、必死にはしごにしがみついている感じがしておかしかった。
槍ヶ岳に最初に登った日本人は、播隆(ばんりゅう)で1826年のこと。英国人ウォルター・ウエストンは、その66年後に登っている。播隆(ばんりゅう)は3体の仏像をおさめたといわれるが、今日は山頂には祠がある。
また、播隆(ばんりゅう)が修行したといわれる洞窟は、山頂から数百メートル下のトレイルの横にある。槍ヶ岳への登頂を、より容易にするために尽力をつくしたといわれる播隆(ばんりゅう)。「よくもまあ、こんなところで‥」といった印象をうけるほど、きびしい場所で、改めて昔の修行僧の志の高さを感じさせる。
今日では、一般人が色鮮やかな服装をして、ほがらかにその横を通過していく。まさに夢さながらの夏景色だ。
上高地から横尾を通って奥穂高をめざすルートは、登りやすいということもあって、とても人気がある。湿った森をぬけ、森林限界(2500m)をぬけて山頂をめざす。
夏の登山の時期は、6月の雨期と8月の台風の間のわずかな期間しかない。ベストは、7月の梅雨が明けてからの10日間。その間でも、晴れた空から突然に、雨がふってくることがある。冷たい雨なので、疲れた体にはかなりの負担となる。
自分もいち度、体温が突然に下がり、寒気がとまらなくなったことがあった。雨の最中にテントを急いではり、中で着替えをしたら、やっと寒気がとまったのを覚えている。そして、お湯をわかしてコーヒーを入れて、雨が止むのをまった。
何気にすぎた時間だったが、今にして思えば、あのとき、着替えやテントをもっていなかったら、命の危険さえあったかもしれない。若かったので、気にせずそのまま登山をつづけて、山頂に立った。90年代初め、当時は「山ガール」というものはいなかったが、私の山ガール時代の思い出のひとつである。
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標高約1500mの上高地から、標高約1620mの横尾までの道は、梓川にそって渓谷をあるく。徒歩で約3時間かかるが、美しくゆるやかな山道だ。混雑していないのが、またいい。
さまざまな植物が道の両脇にみられ、写真のオオウバユリなどは高さが180センチをこえ、花も大きく、つい立ち止まって見入ってしまった。 この谷は、夏には牛の放牧地になっていたので、1927年にふたつのことが起きなければ、この自然はとうの昔に消えていたかもしれない。
そのできごととは、芥川龍之介の「河童」が発表され、その舞台が上高地であったことと、秩父宮殿下が上高地を訪れたことだ。このふたつのことが、上高地を牛の放牧地から、人気の観光地へと豹変させた。そして……、10年後に地域一帯は、中部山岳国立公園として永久に守れることになった。
30代前半の頃、夏になると二人して日本アルプスに登った。写真は、K1に立って撮影したもので、左から2番目の枠にあるのが霞沢岳(2646m)とK2。上高地からK2へのトレイルは、アップダウンが多くまた薮などもあり、とてもきつかったのを覚えている。
日本で3番目に高い山、奥穂高(3190m)が、右から2番目の枠のなかに見える。また、一番右の枠には槍ヶ岳(3180m)があり、そこから少し左にもっとも危険なトレイルのひとつであるで大キレットがくぼんで見える。活火山である焼岳(2455m)は、左から3番目の枠にある。
上高地から奥穂高へは、よく登った。このトレイルは今でこそ多くの人たちで混雑するが、上高地への登山を広めたのは、英国人宣教師のウォルター・ウエストンだった。19世紀おわりのことだった。
それまでは、山は日本人によっては信仰の対象であり、修行の場だったので、日本の山には頂に神社があったり、祠がおかれている。森をぬけ、けわしい坂をのぼり、自然の気配をからだ全身でうけながら登りづけて、青雲ただよう山頂にたつとき、そこに祠をおいた気持ちが、わかるような気がする。(写真をクリックして拡大してご覧ください。)
公園の地域には、何百年という間、ナバホの人々が住んでいる。今も、カボチャ、トウモロコシ、りんご、なしなどが栽培され、馬や羊も放牧されている。写真の中央、岩壁の影となっているあたりにある小さな点々は、羊だ。キャニオン・デ・シェイは国定公園になっても、土地は依然としてナバホの人々のもので、大切にされている。
車のツアーに参加したり、渓谷に降りて遺跡を訪ねたのだが、砂ぼこりというものが気にならなかった。創造主が土で人間の体をつくり、そこに命を吹き込んだというネイティブアメリカンの神話は、こういうキャニオンでは真実みを帯びてくる。
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