あああああ〜

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©William Ash

昨日は4月26日だったのに、雪が降った。まるでひと月だけ時間がもどって、3月26日になったのかと思った。ふくらんできた野生のプラムの蕾が、やられなかったかと心配だ。この三日間は、最低気温がまた氷点下となるみたいだが、日中が10度を上回ってくるから大丈夫かな。雪から顏を出す若葉や、咲き出した木の赤い小花が雪の上に落ちている様は、いかにも晩春の雪景色だ。

食べられる庭 〜 エンレイソウ

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©William Ash

先週は最高気温が16度から23度まで上がり、すっかり春らしくなってきた。樹々も、芽吹いてきた。その前が2年連続の長い冬だったので、うれしいことだ。

例年、林床に最初に咲く野生の花は、エンレンソウ(red trillium or trillium erectum)。命の印もないようなひっそりとした森の底で、赤紫の花を咲かせてくれる。でも、鮮やかな姿が見られるのは、ほんのつかの間。シダの現れるころには、もう消えている。

根と実は有毒。でも、完全に開く前の若葉だけは、生でも、煮ても食べられるらしい(ノースカロライナ州立大学のリポート)。私たちは、まだ一度も試したことがない。食べてしまったら、花の姿も見られなくなる。食をとるか、初春の花をとるか……、迷うまでもない。

命のサイクル

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©William Ash

先週の強風で、木が一本倒れてしまった。ずっと枯れた状態で立っていた木は、こうして横にしてくれる強い風を、ひたすら待っていたのだろう。

詩人は、今の季節を歌わない。少なくとも、満ちていく時を叙情的に歌い上げるといった感じでは歌わない。でも森は、この季節が夏のパワーと同じ豊かさをもっているのを見せてくれる。自らの尾をくわえて環となった蛇「ウロボロス」のように、森も、森自身がその祖先なのだ。

 

ワイルドターキー

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©William Ash

家にはニューファンランド犬のHikariがいるので、野生の七面鳥は昼間は近くにはやってこないのだが、この鳥はちょっとちがう。ときどきバードフィーダーのところにきて、一人でこぼれたひまわりの種を食べる。逃げ足も速く、こちらの視線を感じると、あっという間に森に走っていってしまう。体全体が今の季節の森の色をしているので、そうなると目で姿を追うことはできない。

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年の初めに、オスの七面鳥は大きな群れをつくる。でもこの鳥はメス。メスは体調91センチぐらいで、オスよりも25センチぐらい小さい。大きな愛らしい目に頭の青色とのどの赤い点が、なんともおしゃれじゃないだろうか。野生の七面鳥は、19世紀にはハンターによって絶滅にまで追い込まれそうになったが、メイン州では数が増加している。ただ、走るのは速いものの、高く飛べないのでの、高速道路をわたろうとして車にひかれることがある。

保留になっている春

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©William Ash

先週に冬が復活して、最低気温は氷点下となり、風も冷たい。それでも、雪が異常に少ない冬だったし、大きな雪嵐も一度だけ。しかも、停電が一度もなかったという奇跡の冬だったから、文句を言うつもりはないなだけれど、あれだけ春だ〜と思わせておいて、またもどってくるとは……。顏を出してしまった野生のユリや水仙なんて、自分たちの気の早さを後悔しているんじゃないだろうか。