不毛な砂地

life_in_maine_barren_landscape

©William Ash

最近、アート、とくに写真における自然保護について話をしたりすることがある。そのたびに、「今のアートの世界は、この世界とその美に飽きているなぁ」と感じる。

写真は、真実ではなくてフィクションであると歌い上げて、そのアイデアをやみくもに崇拝している。まるで自己陶酔的な現代に同調しているように見える。この世界を奇抜なところに見せたり、深遠なものを陳腐なものとして表現するために、写真が利用されている。

アート以外のカルチャーでも、この世界に飽きてしまったのか?

興奮ばかりを追い求める中毒患者のように、目新しいこと、なにか奇妙で変わったことばかり探している。すぐに気を引くようなものがなければ、他へ移ってしまう。 広告写真のせいで、人間は、一目でパッと理解するか、喜びを感じるものをほしがるように条件づけられてしまったのか?

上の写真は、ベイツモースマウンテン保護地区のシーウォールビーチにそって広がっている砂丘だ。陸の有機堆積物が、風と水が運命をまかせて、細やかな砂丘の砂となった。植物は、こんな不毛な場所でも進化し、侵略し、砂丘が風や水で動かないように押さえている。厳しい冬になっても、しっかりと砂をにぎりしめている。今の茶色から、夏に緑色になったときでも、それは美しい。