びんずる様〜東大寺

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Oliver Sataler著のJapanese Pilgrimageの中に、びんずる様に関する話がのっている。

びんずる様は愛の深い人であり、またお酒に対する執着も、それと同じぐらい深かった。あるとき、仏陀から、悪霊に苦しめられているお金持ちを癒しにいくように頼まれた。そのとき、お酒をすすめられても、決して誘惑に負けて飲んではならないと言われた。

ところが、びんずる様が悪魔を退散させると、お金持ちは大喜びして、お祝い方々、酒をすすめてきた。何度も辞退したものの、お金持ちが気を悪くするといけないと、びんずる様は飲み始めてしまった。そして、案の定、酔っぱらってしまい、そのすきに悪霊が「しめしめ」ともどってきてしまった。

この話を聞いた仏陀はたいそう怒って、びんずる様を追放してしまった。

しかし、びんずる様は仏陀のいくところにはどこへでもついていき、ただ、自らを恥じて、テントの外で仏陀の説法を聞いていた。仏陀は亡くなるときに、びんずる様を呼び、許し、この世にヒーラーとして残るように命じた。

以来、びんずる様は、寺の外に座って、人々の苦しみを癒そうとしている。自分の病のある部分とびんずる様の同じからだの部分をさすると、病が治るといわれている。

東大寺の大仏殿の外にお座りになっているびんずる様、「まあ、ぼちぼちで、ええんじゃないか」と、寛容に微笑まれているような感じがする。

 

 

日本のお正月

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©William Ash 奈良の東大寺の大仏

関西にいたとき、新年はかならず奈良の東大寺と春日大社にいった。

大仏様を見上げると 不思議と毎年思い出すチベット僧ツォンカパの言葉がある。

「覚えておきなさい。

人の一生は,雨のひとしずく。

現れる先から消えていく、美しきもの。

だから、目標をもちなさい。

それに向って、昼となく夜となくはげむのです。」

 

 

translated by 大坪奈保美 写真集「TIBET:光との出会い」by WILLから

丸保山古墳と百舌鳥古墳群

kofun_maruhoyama2丸保山古墳の前には、八丈神社がある。この古墳も大仙古墳(仁徳天皇陵)の陪塚とされている。大仙古墳のすぐ西側にあり、全長が87メートルの前方後円墳だ。
kofun_maruhoyama1堺市の百舌鳥古墳群の中に住めたことは、本当に貴重な経験だったと思っている。お墓でありながら、墳丘の「緑」と壕の「水」が、都会のなかで野生動物を呼ぶオアシスとなっている。また、周りが散歩道になっていたり、公園になっている古墳もあり、人々に愛されている。しかも、1カ所に集中することなく、4キロ四方にわたってこうしたオアシスが点在している。へんな話だが、古代の墓場に、未来の理想的なお墓、いや、未来都市のあり方を見た気がした。

 

永山古墳と百舌鳥古墳群

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永山古墳 by William Ash

永山古墳は全長およそ100メートルの前方後円墳で、大仙古墳(仁徳天皇陵)の陪塚と考えられている。私たちが堺に住んでいたときには、この壕は釣り堀として使用されていた。古墳のお堀で、釣り糸をたれてのんびりと釣りをしている人をみて、なんか時の流れを感じさせる風情があり、それでいてどこか悠長な景色だった。調べたところ、この釣り堀は2011年に95年の歴史をとじたらしい。(画像をクリックすると拡大されます)

乳岡古墳と百舌鳥古墳群

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乳岡古墳 by William Ash

堺には大小あわせて107の古墳があったが、60基以上が消滅している。残されたものでも、壕が埋め立てられて住宅地になったり、墳丘そのものが削られるなどしている。写真の右をしめる乳岡古墳は、百舌鳥古墳群のなかで、最も古いものらしく、かつては全長155メートルもあった前方後円墳だったが、今では後円部が残るだけとなっている。

定の山古墳と百舌鳥古墳群

定の山古墳は、墳丘の長さが69メートルと小さい古墳で、今では城の山公園の一部となって保存されている。写真をとった時は、丘の上で本を読んでいる人がいた。春の晴れた日に、4世紀または5世紀に造られた古墳の上で、横になって読書をするとは、どこか遥かなる時間の流れを感じてしまう。

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定の山古墳 by William Ash

仮に1500年後の西暦3500年ぐらいに、まだ人類がいるとする。いかに文明が進んでいても、自分の骨がかつて埋められた場所の上には、木々が伸び、お花も咲いていて、そこに横になっている人間がいる。そして、空を眺めながら、「あの雲はクジラみたいだなあ」なんて思いながら、悠々と流れる雲を見ていてくれたらいいなあと思う。

いたすけ古墳と百舌鳥古墳群

堺市は人口84万人が住む政令都市だが、そんな開発し尽くされたような都市で、百舌鳥古墳群は、野生動物保護地域のようなすばらしい働きもしている。冬の夕暮れには、カラスの大群が、神秘めいて古墳の上を飛びまわる。夏には、クマゼミが大気を揺らさんばかりに、信じられないようなうるさい声で鳴く。お堀には魚はもちろん、それを目当てに鷺(さぎ)、鵜(う)、カモ、オシドリなどがやってくる。

下のいたすけ古墳には、コンクリートの橋が少し残っている。古墳を破壊して開発しようとしたときに造られたらしい。結局、開発に反対する市民運動によって、開発は阻止され、橋の残骸が残された。

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いたすけ古墳  by William Ash

いたすけ古墳で写真をとっていると、古墳の丘からタヌキがでてきた。まもなくして、近所の人だろうか? 父とその子供がやってきて、ソーセージを槍の先につけて、古墳のタヌキに飛ばしはじめた。タヌキは実に慣れたもので、的が外れてソーセージがお堀の水の方向にいくと、「無駄なことはいたしません」とばかりに、じっと橋の端からそれを傍観していた。空飛ぶごちそうが、しっかりと自分の方向に来たと確信したときにのみ、「よっこらしょっ」と動くのである。上の写真に、その3匹のタヌキが写っているのがわかるだろうか? このカメラをもった人間も「空飛ぶランチ」を携えてきたかどうか、チェックをしているのだろう。

 

 

仁徳天皇陵と百舌鳥古墳群

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堺市にある大仙古墳(仁徳天皇陵正面)by William Ash

13年ぐらい前のことだが、大阪府堺市にある百舌鳥古墳群の中に住む機会に恵まれた。東西・南北4キロメートルにわたる地域に、4、5世紀に作られたおよそ46基の古墳が今でも残されている。かつては100基以上あったらしい。

古代の権力者たちの巨大な墓場が、今では町になっていて、墓のまわりや墓を壊して家や道路を作って一般市民が生活をしているという風景のもつおもしろさ。古墳のまわりを散歩すると、古墳時代と現在というふたつの時空に住んでいるような感じがしてくる。

住み始めたときは、「こんな場所があったのか!」と、関西に残された遺産の豊かさと、そんな貴重で重要な文化遺産をなんとも思っていないかのように、当たり前の顔をして住んでいる人々に本当に驚いた。百舌鳥古墳群は、世界遺産登録を今、さかんに進めているが、はるか前にそうなっていてもおかしくない場所だ。

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堺市役所から大仙古墳(仁徳天皇陵)を望む by William Ash

古墳のなかでも圧巻なのは、もちろん歴史の教科書にのっている仁徳天皇陵とも呼ばれる大仙古墳。ただ、古墳の外側には車道や歩道があるので、遠巻きにはほぼひとまわりできるものの、古墳の中には全く入れない。最初の写真の鳥居のところまでしかいけない。それでも、鳥居のところにいって古墳に向うと、この丘のような古墳が人の足に荒らされていないからだろうか、心静まるような清涼な何か感じる。

(画像はクリックすると拡大されます。)

鳥居 〜 くぐるもの

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東京の明治神宮の鳥居 by William Ash

神社は大好き
長い参道を歩くと 迎えられているような懐かしい気持ちになっていく
大きな木をみると 優しい気持ちになる
お祭りがあれば屋台がでて 大人も子供もみんなが楽しそう
だから神社は大好き

でも わからない
鳥居の内は聖域で 外は聖域じゃない
ということがわからない

神道は八百万の神であり
すべてに神の命が宿るんじゃなかったかしら?
聖域じゃない場所があって いいのかしら?
そんな世界があると 認識していいのかしら?
認識すればするほど その存在は強固なものになるんじゃないのかしら?

鳥居よ なぜ在る?
優美で均整のとれた形がもつ侵しがたい強さは どこから来た?
本当は 何を 守っている?

By Naomi Otsubo
Futon Daiko - William Ash

写真集「Futon Daiko」(ふとん太鼓)—撮影裏話

いい写真をとるには、技術も才能もいるが、それにだけでは十分じゃない。
そこに、運が関わってくる。いい写真というものは、自分が撮るというよりも、与えられるもののように思う。

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上のこの写真は、新刊の写真集「Futon Daiko: A Japanese Festival」(ふとん太鼓:日本の祭り)に納めた写真の中の一枚で、偶然が重なって生まれたものだった。

撮影当夜、堺市の百舌鳥八幡寓は、月見祭りのクライマックスを迎え、ものすごい人でごったがえしていた。熱気のなか観衆にもまれて、バッグの中のレンズフードは壊れるし、くしゃくしゃになりながら人の波にどんどん流され、気がつけば、最前列から後ろの石灯籠に押しやられていた。

これには、まいった。長時間露出撮影をしたいのに、カメラを長い間、固定して支えることができない。三脚など、とうてい使えない‥‥。それで、たまたま頭上にあった樹齢800年の楠の木の枝を支えていた鉄鋼のI形梁に、腕をのばしてカメラをクランプで固定してみた。

これで、いけるか?と思った矢先、あることに気がついた。カメラの位置が高すぎて、ビューファインダーをのぞけないではないか! どうやって、フレーム構成をしようか?

どういう意味か、カメラの専門知識がない人のために説明すると、フルフレーム撮影というテクニックというかスタイルがある。フィルム全域をひとつの画像としてとらえて撮影することで、あとで写真の一部だけを使うようなことをしない。修正など一切しないこのスタイルは、写真家にとっては常に不安がつきものだが、私はずっとそれでやってきた。

ところが、この晩は、肝心のビューファインダーをのぞいて、フレーム構成を自分の目で確認することできなかった。どんなものが、どんな感じでフィルムに写ってくるかわからないまま、ただ感で、カメラの位置、焦点、露出などを推測して撮影するしかなかった。そして、その結果が上の写真となった。フィルム全域に写っていた画像そのままである。

この写真、自分が撮ったのだろうか? もしかしたら、百舌鳥八幡寓の神様の恩寵をいただいたのかもしれない。いずれにせよ、あの晩、この写真を撮れたこと、いや、おそらく賜ったといったほうがいいのだろうが、とても感謝している。

by William Ash (ウィリアム アッシュ)

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