近刊のお知らせ ~ Tsukiji

©William Ash

Tsukiji: Tokyo Fish Market Suite (築地:東京魚市場組曲)が、もうすぐ発売になります。世界で最も大きな魚市場の様子をとらえた41枚の写真が、小作品からなる3部作の音楽となって流れていきます。1935年に造られた築地市場を移転するかどうか、東京都は検討中ですが、41枚の写真を築地への敬意として捧げたいと思います。発売予定は3月終、48ページのソフトカバー版です。

私たちは舞うものなり

japan_we_danceアメリカ人の学者ジョセフ・キャンベルが、日本を訪れたときの話としてよくとりあげた話がある。あるとき彼の耳に、アメリカ人の哲学者が神道の宮司に話しかけている声が聞こえてきた。

「私たちはたくさんのすばらしい儀式にも出ましたし、たくさんの神社も見学してきましたが、私にはどうも神道のイデオロギーがわかりません。神道の神学がわかりません。」

すると宮司は黙って質問の意味を考え、こう答えたという。
「神道にイデオロギーはありません。神学という体系もありません。私たちは舞うのです。」

 

長谷寺 ~ さくらは外、さくらは内?

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奈良の長谷寺 ©William Ash

日本人が、
桜に夢中になるのはなぜだろう?

はかない桜の花の命だと言う人もいるかもしれないが、桜が「美」なる気持を、簡単に心の中に呼び起こしてくれるからであることにはまちがいない。

どうして美を感じられると、
人は嬉しいのだろう?

桜だけでなく、人間は美しい型やフォームに、中毒ともいえるこだわりや感心をもっている。どうやら、これには理由があるようだ。人間は美について、ものが所有するある種の性質のように語るけれど、実のところ、「美」はそれを見る人の中にある。

それなら、「美は単なる個人的な意見だ」と言いたくなるかもしれないが、もっと複雑だ。なぜなら、美が、見る人の中に「だけ」存在するからだ。

つまり人間は、
内で美を創造するように創られているということ。

ここで言う創造とは、外にはないのに、内で「美しい!」と感じることによって、自らの中に美を創造するように創られているということだ。これは、すごいことじゃないだろうか! 美を見たり、美を体験したりすることは、人間という種が進化した生物であることの証なのだ。

Eric Kandel 氏は、有名な著書「The Age of Insight」の中でこんなことを言っている。
「画像を見て感じた美は、肯定的な感情だけでなく、愛のような、美的なものへの中毒のような感情をも呼び起こす。」

う〜ん、人間がこの世を愛するようになるのは、美あってこそのようだ。日本人が桜を愛するのも、桜によって心のなかで美が生まれるように。森であれ、一輪の花であれ、香りであれ、犬であれ、家族であれ、友だちであれ、音楽であれ……「自分の中で美となって創造されるもの」がまわりにある環境、そんな精神的な余裕のある環境は、人間にとってはとても大切なことなのかもしれない。それがあってこそ、地球を、自然を、人を愛おしむ思いを、自らの中に感じられるようになるのかもしれない。

だから、ネイティブアメリカンのワンパノーアグ族は、
「さようなら」のかわりに「ウーニッシュ」と言ったのだろう。

つまり、
“Walk in Beauty”  「美の中を歩いてください」

魚いっぱい?

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©William Ash

漁獲量を減らしても、タラが消えつづける?

最近、ニューヨークタイムズに、メイン州のタラ漁についてのショッキングな記事がのっていた。タラは、何十年もの乱獲のあとに、やっと2010年になって漁獲量が制限された。当初のプランでは、これによりタラの生息量がもどってくる予定だった。

ところが、減る一方。

おかしいと思って調査してみれば、予想外のことが海で起きていた。メイン湾が、世界の海域のなかでも、地球温暖化によって著しく水温が上がっている海域のひとつであることが判明したのだった。そのため、タラは生息数は回復どろこか、生殖率は落ち、死亡率は上がり……。

海洋研究者たちは、「漁獲量制限によってタラの回復を予想していた当初のプランは、水温上昇という要因を考えに入れず、あたかもタラの生息数がすぐにもどるような非現実的な期待を生んだ。」と酷評している。

もうタラだけでなく、地球環境全体を守らなければ、タラの数はメイン湾から減っていくばかり。困るのは人間も同じで、地域の経済成長は破壊され、仕事はなくなる。それを知りながら、どうも今の対策は、うまくいっていない。

悟り

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©William Ash

禅では、人は少しずつ悟りに近づくのではなくて、突然、悟りというものが雷のように来るという。鈴木大拙は、「自分の本質を見るような」、「生まれる前の本来の顔を見るような」、「カラスの鳴き声が聞こえる前に聞くような」「神が『光りあれ』と言う前から神といるような」経験だと言った。写真は、宮島でみかけたびんずる様だ。びんずる様については、ぜひこちらを見てください。

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Happy New Year 2015

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©William Ash

Naomi and I wish you a wonderful and prosperous new year.

新年明けましておめでとうございます。
今年も皆様のご健康とご多幸をお祈りしております。

本年も、
どうぞよろしくお願いいたします。

東京の大晦日

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©William Ash

アメリカにいて、日本の何が一番恋しいかといえば、梅干しでも納豆でもなくて、お正月だ。12月31日の晩に行われるアメリカのドリンキングパーティーとはわけがちがい、日本ではまさに大晦日から、新年に向けてのお祝いが始まる。除夜の鐘、深夜に神社やお寺に向う人々の足音、話し声‥。そして、若水、書き初め、仕事始めへと続く。あ〜、風情がある。

ネイティブアメリカンが、「節目を祝う儀式を通して、クリエーターなる創造主が人をごく自然に変化、成長させる」というのを聞いたことがあるが、日本のお正月にも、同じような大きな智慧の力が働いているにちがいない。自分がどんな状態であれ、その力に祈るように共鳴して迎える新年は、心のなかがどこか清々しい。

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上野—東京の道

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©William Ash

上野動物園の近くにて。

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